こんにちは。
ファッションアナリストの七理悠介です。
ファッションには一見、おしゃれさが伝わりにくい難解なものも数多くありますよね。
そういった難易度の高い着こなしをされている方が、「このファッションは○○だからおしゃれなんです」といった説明を行い、戸惑ってしまった経験が誰しもあると思います。
論理的にはおしゃれと言われても、人それぞれ感性が違いますから、受け取り方が異なるのも仕方のないことです。
その他にも、ファッション指南者の方が「NGアイテム」「NGコーディネート」として挙げられているものを、ご自身が着用されているのを見かける時もあります。
そうした場合にも、「自分のファッションは○○だからNGではなく、おしゃれなんです」といった趣旨の説明をされていることが多く、違いの分からない人から見たら混乱する一方です。
これらの「このファッションは何故ダサいのではなく、おしゃれなのか」という説明を行う事について、疑問を抱くことってないでしょうか?
目次
おしゃれに対しての「説明」は、肯定に対してのみ用いられるべき
おしゃれに対しての「説明」は、否定に対してではなく、肯定に対してのみ用いられるべきだと私は考えています。
というのも、「何だかおしゃれに見えないけど、これが本当におしゃれなの?」と否定的に捉えられた場合に、「いやいや、何で分からないかな?これって○○だからおしゃれなんだよ」と説明するのは、よく考えてみると本当に一般的なおしゃれなんでしょうか?
私にはそうは思えません。常に説明書きを持って人前に出るわけではないですから。
ファッションというのは、背景を知らない人から見たら、文字通り純粋に「見た目」で判断されるものですし。
そもそも、必死になって自分のおしゃれさを説明することなんて、洗練された大人としてスマートではないですよね。
だからこそ、人から「着こなしが素敵だけれども、どういうところに気を配っているの?」と肯定的に捉えられた場合にのみ、説明の出番はあるべきだと感じます。
知見を得て理解できるおしゃれも存在する
とはいえ、難解なファッションについては、その背景等を知ることによって理解することができるおしゃれというのも確かに存在します。
そのため、最初は理解のできないファッションについても、「どういった魅力があるのだろう?」と積極的に知見を得ようとすることが、ファッションをより楽しむことができるポイントなのではないでしょうか。
学生時代、「このスニーカーは○○でレアもの」と言われているものに対して、背景を知っているからこそ「おしゃれだな」と感じていた経験は多くの方があるはずです。
ストリートファッション等についても、知らない他人から見たらおしゃれさが理解できなくても、「その世界の魅力を知っている人」から見たら理解できるおしゃれもあります。(私自身、学生時代はスケータースタイル・ストリートスタイルだったので、そうした世界の魅力に今でも惹かれます)
ストリートスタイルに限らず古着・民族衣装など、どれも全て同じことで「その世界の魅力を知っているかどうか」だけであって、そこに優劣なんて存在していません。
だから、自分が理解できないおしゃれというのも「自分がその世界の魅力を知らないだけ」という観点を忘れずにいるべきです。
他人に対してのおしゃれは「無関心さ」がポイント
そうした難解なファッションを楽しむ自由がある一方、他人に対しての着こなしの表現については配慮が必要だと感じます。
「説明がないと理解できないおしゃれ」というのは、当然他人から見たら理解されにくいものですから。
「美的判断」と「無関心性」については哲学者のカントも言及しています。
趣旨は「美しさを判断する時に、無関心でなければ純粋な美的判断はできない」ということです。
つまり、「これは○○だから美しい」と理屈ありきで美しさを評価する行為は、純粋な美的判断とは異なることを意味しています。
このことは、感覚として捉えられる「おしゃれ」というものに対しても同じことが言えるはずです。
「これは○○だからおしゃれなんだ」といった理屈を知らない他人の感性を推し量って、それに寄り添ったファッションをしてあげることが社会性を持つ大人として重要だと感じます。
そうしないと、場合によっては「あなたの感性なんて関係ない。自分の感性に合わせなさい」と強要しているのと同じことになりかねません。
これでは自分勝手な振る舞いでしかなく、洗練された大人の行動として相応しくないですよね。
したがって、「どういったファッションをするべきか」については「TPOによって異なる」という当たり前の事実を忘れないことが大切です。
洗練された大人には、「ファッションを楽しむ自由」と「周囲の人に寄り添ったファッション」というものを切り離して考える必要があるのだと思います。
ファッションは「その人の社会性を映す鏡」
「説明が必要な難解なファッション」「説明が不必要な分かりやすいファッション」のどちらも楽しめるようになると、ファッションの世界が広がって素敵ですよね。
ファッションは「その人の社会性を映す鏡」のようなものだと私は考えています。
TPOに応じて着こなしを変化させることができるのは、「社会の中で自分の生き方を明瞭に表現できる」のと同じことです。
ファッションを通じて、社会性を持った洗練された大人を目指しましょう!
ぜひ参考にしてみてくださいね!